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いろいろな意味で、印象深い作品ですが、 私の代表作であることに変わりなく、 また、広告という命の短い世界で、長く残ることになった作品を作れたことに満足しています。

企画の種は、実はかなり前から持っていたものでした。10年目にしてYahooのインタビュー記事に答えた内容がそうです。
“あの動物たち”は「式神」、「ポポポポ~ン」の生みの親が語る公共広告の裏側(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)

作品についての話をします。

プレゼンは2009年の年末、よく年の1月には最終審査に残ったことを 知らされていました。
と同時に非公式で合計3作品が最終に残りそうだけど大丈夫か?3本制作体制取れるか?という打診がありました。 もちろん出来ないなどというわけもなく、 出来ますと答えたわけですが、まさか3本同時に作ることになるとは思ってもみませんでした。
この時同時に制作したのは、仁科明子親子に出てもらった子宮頸がんの予防と、 文字活字協会の広告。 1週間くらいこの2本の撮影で東京に缶詰めになり、最後に札幌に戻ってかなり詰めのスケジュールで、あいさつの魔法に取りかかりました。
進んでいるはずだったコンテも 音楽も予定を大幅に遅れた進行になっていて、 慌ててまずコンテを自ら書き直し。 でも全面音楽のcmなので音楽が完成しないと 演出が詰められない。
最初に上がってきた音楽に納得がいかず 一から発注し直し。
お願いしたのは これまでたくさんのCM曲をお願いしたことのある地元のプロダクションでした。
1週間で3曲も仕上げてくれた。 そのうちの1曲が採用の曲。 スケッチから修正なしで決定しました。
何かと話題になったポポポポーンですが 当初これを採用する予定はありませんでした。
呪文としてパ行の言葉を入れるということは 私の中で決まっていて、作詞の段階では チームとして入っていたコピーライターが上げてきたポンポンポンを使っていました。 さて音楽が採用候補の曲が上がった段階で、 さて呪文の言葉を考えようと 自ら気に入ったことばを案としてチームになげた。決定する気満々だった私にCM制作のPrがこっそり言った。
若浜さんは女性だから知らないと思いますが、それって、おじさんが聞いたらエッチな想像しちゃう海外のある場所のことなんですよ。
えっ そうかと、
ここでCDとしてのリスクヘッジが強力発動した。
そうか、どんな意味も持たない言葉を探すのはこのスケジュールじゃ無理だ。
しかもローカルじゃない。 全国オンエアで。
渋々というか、すっかり意気消沈して スケッチにあったポポポポーンを そのまま採用した。
発注のとき、後から変える予定だったので
音楽に合わせて言いやすい言葉に変えていいよと伝えていたので、 ポンポンポンがポポポポーンに変わっていた。 こんな普通な言葉じゃバズらない。
でも予想外というか狙い通り キャッチコピーより ポポポポーンが、このCMの代名詞になってしまったのだ。

OA後の話をします。
当時ACのCM自体オンエア本数はそれほどでもなく、AC自体も知る人ぞ知る状態でした。
オンエアは2010年7月から2011年6月。 当初からの予定通り。
2011年3月11日金曜でした。 3日前10階のビルで地震を経験。
また大きい地震が起きたものだと、 週末の夜いつもの寿司屋でビールを飲みながら 官房長官の会見を見て、あれただごとじゃないかもと思い始めていた。 そのときYahooニュースが出していた 大地震というアイコンが軽く傾いた可愛らしいデザインになっていて、ありゃりゃこれは不謹慎だぞ、と思っていたら速攻変えられてた。 最初にアップした人も こんなことになるとは思わなかったのよね。
きっと。

あっという間にTVがACだらけになった。
この頃はまだみんなTV見てたんだよね。
CM最後のエーシーってサウンドロゴが耳障りと苦情が入り、異例中の異例で局側でCMの最後をカットしてOAすることを許諾した。 だから、突然ブチ切れるCmがたくさんOAされた。本来納品された素材を局がイジるなんてあってはならないことだけど。 ちなみにこの後、 エーシーのサウンドロゴを変えようということで、全国コンペが開催された。 なんとこれも採用に。 あいさつの魔法を作ってくれた人にお願いしたものだ。
実は、AC本部としては別の案がいいという意見が多くそのつもりだったらしい。 最後に会長の鶴の一言で決まったと 担当の人が教えてくれた。 ありがとう会長!
とはいえ 以前から、サウンドロゴの印象が強くて 作品のイメージを壊す、という意見があり 今はもう使われていない。 ACの存在をアピールするためのものだったから役目を終えたってことですね。
私としては、 もう少し使ってほしかったな、 と思っていますが。

TVが落ち着いてきた頃から 徐々に取材が入りだし、 様々な対応に追われる日々が続きました。 最初に話したように 企業CMではないので、 通常の対応とは全く違う。 とにかく状況を把握できるのは私。 そしてAC事務局から念をおされてたのは これを使って商売をしないこと。 そのためには、個別スタッフに取材が行かないように手配する必要もありました。 本社の広報に窓口を作って対応してもらいましたが、まあいろいろな事がありました。
制作に関する取材だけでなく 学校のあいさつ運動にキャラクターを使用したい。
吹奏楽で演奏するので編曲の許可が欲しい。
大学の先生から論文に使いたいなどというオファーもありました。
ねぷた祭りのねぷたにキャラクターが 使われて、現地まで視察にも行きました。 ※新幹線の影響で八戸まで6時間くらいかかった記憶があります。まあ大変だった。
思い出せばいろいろ なぜ男女二人なのか、 60秒タイプにだけスカンクがいるのかとか 兎にも角にも 歌ってくれた歌手の野々歩さんは 今でも時々ライブで歌ってくれてるらしい。
いつか、聞いてみたいと思っています。

最初のAC広告、北野武との撮影。 イメージは渋谷のスクランブル交差点でしたが、北野たけしをそんなところに連れて行ったら大変なことになると、 エキストラ100人入れてのスタジオ撮影でした。 横浜のファクトリースタジオ。 名前の通り、工場跡地に作られたどでかいスタジオです。 北野武は、噂の白いロールスロイスでやってきました。 第一印象は、え、顔小さい!でした。

撮影前の打ち合わせは、 銀座の電通ビルで、オフィス北野の当時社長森さんらとPPM。 ひとつだけ言われたのは、 彼に質問や意見を聞かないでくれって ことでした。 これを聞かれたら彼の創作意欲にスイッチが入ってしまい収拾つかなくなるので、と。 これを肝に銘じながら本人に企画説明をするため楽屋に入りました。 多少緊張してたかと思います。 彼が私を見る目は子どもを見るようだと 感じました。 いいよいいよ、大丈夫だよ。 わかったよ。 そんな返事だったと思います。
撮影は、お願いしたプロダクションの中でも 特に優秀なPMがついてくれてたので、 すこぶる順調でした。 現場でのエキストラ制御から、撮影前のオールスタッフまで、完全に完璧に仕切っていました。 オールスタッフのシメに、では若浜CDから一言、と振られた時は北野武への企画説明より緊張したくらいです。 ちなみに、北野武という名前は、芸人以外の仕事で使ってるそうです。だからポスターのサインも北野武。 服はいつもヨージヤマモトの特注。 このときもそうでした。
話は、まだ続く。

札幌駅、パセオのクローズドキャンペーン。 私が、代理店CDとして、最後に担当した一番大きなお仕事になりました。 これまで、さまざまな閉店CPに携わりましたが、これほど、多くの人から惜しまれる言葉を聞いた施設はなかったように思います。 パセオは、女性アパレルが中心でしたから、母娘にわたって思い出がある、という話だけではなく、やはり駅の特性ですね、 北口の予備校に通っていた浪人時代を思い出す、なんて、男性からの声もありました。
最後のモデルを務めてくれたのは、鳴海唯ちゃん。ついこの間、朝ドラにも出てたし、「テミスの不確かな法廷」なんて、けっこう良かったですよね!

パセオについては、2013年~シーズンキャンペーンと、このクローズドを担当させていただきました。 若い女性がターゲットですから、実にたくさんのモデルオーディションを行いました。 このクローズドCPのオーディションでは、高石あかりちゃんもいました。今や、ベイビーワルキューレに、朝ドラ主演ですからね、驚きです。 当時は、舞台鬼滅の刃、禰豆子役に決まったばかり、19歳だったと思いますが、もっと若く見えたことを覚えています。 他にも、シーズンCPでは、事務所を移籍したばかりの佐藤栞里ちゃん、岸本セシル、八木アリサ・・・。 松井愛莉ととしまえんでロケしたとき、 小中学生に囲まれたこともありました。何かで、ちょっと話題になってたころだったと思う。
雑誌系のカメラマンともよく仕事をしました。モデルからのオーダーってこともあったり、こちらからのオーダーだったり様々です。 パセオのクローズドに関しては、私の大好きな柴田フミコさんで、2回目のオファーでした。 初回の撮影は、ちょっと手違いがあり、中判カメラでとお願いしていたのに伝わらず、35ミリでの撮影になりましたが、 唯ちゃんの表情が良く、よい上がりになったと思います。 他にも、動画撮影もしています。オリジナルの楽曲を作りました。音楽制作は、なぜか縁あって名古屋の会社でした。 こちらも、まだまだ、話はつづく。

札幌駅、アピアの2017年~2019年のシーズンキャンペーン。
とにかく、可愛らしく、楽しくということだけ追及できる楽しい仕事でした。
AD・コピーライターは、東京の信頼できるプロダクションなのですが、なぜか、 クリスマスのビジュアルコピーは、私が書いたものが毎回使われています。 コンセプトとして書いた言葉がそのままコピーになることも、ままあるのですが、 これは、コピーとして考えたもので、そして、自分でも気に入っているものです。

シーズンキャンペーンのコンセプトは、「ワクワクが生まれる道」。 これは、このコンペ獲得前の2014年のコンペに挑戦したとき提出したコンセプト「crossinng.apia」 つまり、人とモノの交差点。これを言い換えたといってよい企画でした。 2014年は、MTで有名なAD居山さんに企画をオファー、MTのような文化的アート的展開をアピアで実現したいと 考えていたのですが、あえなく惨敗。いま思えば、アピアらしさという意味で表現がうまく着地しなかったのかもしれない。 という反省と、やはりクライアントをよく知るということを真面目に積み上げ、獲得できた仕事だと思います。 POPな魔法の絨毯、ストライプのテープを館内いたるところで展開。これも、前回コンペを獲得したらMTでやる予定だったものに、 イメージは近いのです。これも、話はつづく。

札幌市のシティプロモート事業として シビックプライド醸成を目的としたcpのため制作したPVです。 PVを作るというオファーではなかったのですが、プレゼンまでの1週間でPVを作り、その完成度で獲得したものです。 私は作詞と制作全般のディレクションをしました。歌い手は、当時北海道イオンのCMソングを歌っていた女性が好きで、どうしてもとお願いして、実現しました。 企画のコンセプトは当時のECDによるもの。 誰かのためにその笑顔はある というのが、コアメッセージです。

スマイルサッポロは、じつは浸透が微妙な 市が肝入りでやっているcp 。 正直ちょっと親しみにくい展開で 自分ごとになっていないというのが課題だと 思いました。

映像は特に奇抜なものでなくありがち、 だけど実は作るのは大変という手法。 様々な市民の様々なスナップで構成されたものでした。 本来なら長い時間撮り溜めたスナップから、 様々な瞬間をいかに豊かに切り取れるかが作品の完成度を左右するものなので、 短時間で仮の写真を使ったプレゼン用の完成度に本番を持っていくのは本当に大変なのです。 だって2週間そこそこで すべて新しい写真で作るんだから。
予算も限られているので 出演者はほぼ内トラ。 身内のエキストラです。 私の両親まで引っ張り出してます。

複数のカメラマンで人海戦術、 ということも考えましたが、 結果カメラマン一人、10日ほどかけてすべて撮りきって貰いました。 彼と仕事をするのは始めてでした。 人を、モデルじゃなくて人を撮るのが得意なカメラマンは誰だ、ということで推薦を受けてオファーしました。 彼は企画を聞いて小さなライカのカメラひとつ持ってやって来ました。 さて仕上がりは。 今でも時々チカホのビジョンで 流れる映像をみていただければと思います。

さて、 思いをこめて作った作品ですが、 その後思いもよらぬ展開に。

そもそも市のプレゼンに関して当時は 著作人格権を行使しないという条項がすべての案件に組み込まれていました。 今現在はどうなのかは分かりませんが、 本来これは裁判となれば無効になります。 人格権は譲渡出来るものではないからです。 単に確認が面倒だという理由でしか無い契約ですが、基本的に制作者の権利を犯すことはしないよね。 想定範囲の使用に限り制限することはないけど、改変など勝手にしないよね、というのが暗黙の了解であると私は認識していたし、 他企業でも同様の扱いでした。 ところが、驚いたことに市は、 この曲を勝手に編曲して「スマイル体操」という発注意図とは別の案件に使っています。 しかも最初に作った速度より ずっと遅い曲にして 合わせてpvも作っています。 これに関して私は一切関わっていません。 他社で作られたからです。 せめて私にオファーしてほしかった。
ことの顛末について詳細は書きませんが、作曲者と歌手の権利関係は解決されています。 だから問題はないのですが、 企画者としての想いは宙に浮いたままです。 せめて本来のPVとメッセージが もう一度誰かに届けばいいなとおもっているのです。

ススキノラフィラ。 今ススキノ角にあるCOCONOの前身です。この名前は私がつけました。 なんて言いずらいんだ、とやたら不評だったです。

そもそもラフィラは、もうひとつ前の商業施設施設ロビンソン百貨店が、リニューアルの時に誕生した3階から上のゾーニング名として考えたものでした。 ネーミングは、外注先コピーライターにお願いすることが多かったのですが、このときは、自分で考えることにしました。 ファッションフロアのネーミングであるし、自分の好きなジャンルの仕事であったからです。 誰に発注するかの采配は、自分ということで、自分に発注しました。ま、よくあることです。 大人の女性に似合うということでフランス語のフィラー紡ぐという意味の単語に 小洒落た感じを出すためのlaをつけた造語です。

そもそも、ラフィラ以前は、ロビンソン百貨店でした。その前は、ヨークマツザカヤでした。そして、その前は・・と、 何度も名前が変わりました。私はロビンソンの時代に担当となり、そのころは、毎週CMばかり作っていました。 今より、はるかにCM制作の機会が多かったのです。その後、販促全般を担当することになり、 約1年間、毎週火曜、春日部日帰り出張の日々が続いたこともありました。
そんな日々から、いろいろ話は続く。

JRタワー もっと、まちになる。
10周年cpの企画として コンペで獲得。 20周年のコンペで新しいメッセージに変わるまでの2013年から10年間使っていただきました。 。

このまちとはよく不動産デベロッパーが使う 商業施設がその地域のハブとなってまちづくりを担う、という、今だから言ってしまうとちょっと企業の理想論というか身勝手な意味での街ではなく、駅と人とが一体となり能動的に成長していくまち。jrタワー自身の宣言なのです。 これは当時の社長がステークホルダーに向けたメッセージの中にあったまちという言葉をメッセージとしてフューチャーしたものです。 つくづく、クライアントをよく知るということがコンペ獲得の鍵だなあと思った仕事でした。
オリエンの必須項目は シンボルマークと館内装飾のためのビジュアル。 普通に考えると10周年を盛り上げるため ある程度華やかなビジュアルと スタッフ社員が胸に付けるバッジなどに使うため10という数字がわかりやすく目に止まるマーク。
コンセプトは単純です。 人と人が繋がること。 10年の節目までの繋がりへの感謝と これからの10年を一緒に歩く。
よく言われるB to C という言葉がありますが、 当時これからは B with Cである、といわれいたものを表現したものです。
当初の提案ではお題の通り これをマークとして、ビジュアルはたくさんの 繋がれる手の写真を使ってグラフィカルに仕上げたものでした。 これは、思い切りボツ。 ビジュアルだけ再提案になりました。 今思えば、もっと抽象的で良かったなあと思うのです。言葉を説明し過ぎてたと思います。 クライアントの正しい判断により シンボルマークがそのままビジュアルに決定しました。 強いアイデアがあったら それを信じて頼ることが大切ですね。

このあとjrタワーのコンペでは バーゲンも獲得。 メインキャラクターは今や海外の方が注目されている吉井宏さんに作ってもらいました。 ものすごくたくさんの個性豊かなラフスケッチ、といっても完成された3dイラストの中から楽しく選ばせていただきました。 長く使うための顔としてキャラクターの設定を提案。Jrabittoという名前がじつはありましたが、展開の機会はありませんでしたね。